「ん? 佳乃嬢、学校はどうしたのだ?」
 朝から絶え間なく雨が降り続け、梅雨特有のじめじめとした湿気から多少は解放された感のある土曜の朝。いつもならとうに学校に行く準備を行っているであろう佳乃嬢が、今日はいつになく居間のテレビから離れずにいた。私はその姿に違和感を覚え、私は思わず声を掛けた。
「学校? 今日は第二土曜でお休みだよぉ〜」
「第二土曜、なんだそれは? 月月火水木金金的に土曜日が二回続くという意味でもあるのか?」
 しかし、仮に休みが続くという意味であったなら第二日曜と形容するであろうし、第二土曜だから休みだというのはよく分からない。聞き慣れない言葉に、私は首を傾げざるを得なかった。
「君はそんな意味も分からないのか。いいか、第二土曜というのは週の第二週が休みになるという制度だ。またそれと連動して四週目の土曜日も休みになっている。もっとも、これは主に学校に適用されているもので、多くの企業は週休二日制であり、学校もいずれこの制度に移行するだろう」
 私が疑問を投げかけていた所に、相変わらずという感じで女史が会話に割り込んで詳細な説明をしてくれた。
「フム、今はそのような時代になっているのか……」
 正直旅をしながら糧を稼ぐという流浪の生活をしている身としては、休みというのは旗日を意識するくらいで、例え第二週の土曜が休みになったとしても、それ程意識するものではないだろう。
「ところで君はどうするのだ?」
「そうだな。この雨であるし、私も家に篭っているとしよう」
 女史の問いに私は霧島家に留まる意を示した。正直この雨の中、外に出ようという気にはならない。
「じゃあ今日は大佐と二人きりでお留守番だね」
「む!? 言われてみればそうなるな……」
 何気なく話し掛けてくる佳乃嬢の言う通り、確かに霧島家に残るのは私と佳乃嬢の二人だけである。しかし客観的に見れば、若い娘と何処ぞの馬の骨とも知れぬ旅の男が二人きりという構図になる。正直あまり世間体の良い構図ではないだろう。
「じゃあ気を付けなくちゃね。女に慣れてない男が何しでかすかわかんないし」
「案ずるな。小娘に手を出す程私は女に飢えてはおらんよ」
「トマホーク・ブーメラン!!」
「ぬおっ!」
 真琴嬢の挑発を受け流すような発言をしたら、突然ツルハシが私に向かい投げ出された。目の前まで迫ったツルハシの切っ先にはヒヤッとさせられたが、私は辛うじて避ける事が出来た。
「まるで私の妹に女としての魅力がないような発言だな、鬼柳往人君……」
 言わずもがなツルハシの元凶は女史であり、怒りを押し隠したような不敵な笑みでこちらを見つめていた。
「いや、単に手を出さぬという意味で、他意はない。しかしそのような物騒な物をよく家の中で投げられるな」
「その点に関しては問題ない。突発な方向に飛ばないように有線式になっているからな」
「有線式……?」
 ゴツッ!
「ぐわっ!」
 突然足首に何かがぶつかった感触があり、その激痛により私はその場に平伏してしまった。
「そしてブーメランと伊達に名乗っている訳ではなく、こうして手元に戻って来る」
 床に平伏しながら女史の方に目を向けると、右手はワイヤーを操る体勢で、左手には戻って来たツルハシが掲げられていた。成程、先程の激痛は戻って来たツルハシの柄の部分が足に当たったものという訳か。
 しかし、まさかツルハシが戻って来るようになっていようとはつゆ知らず、思わぬ不覚を取ってしまったものだ。
「では行って来る。留守番頼んだぞ、佳乃」
「はぁい〜お姉ちゃん」
 霧島女史と真琴嬢が仕事場へ向かい、家の中はまるで嵐が過ぎ去ったような静寂さに包まれ始めた。ただそれに反比例するかのように、外の雨はまるで嵐が到来するかのように強く降り出して来た。


第七話「梅雨の合間に」

「よぉし、そこだぁ〜。必殺! ファング・スラッシャー!!」
 この雨の中外に出る事も叶わず、私は居間で先程からゲームらしき物をしている佳乃嬢の姿を見続けていた。
「しかしゲームというのも久し振りに見るが、随分と進化したものだな」
 私の中でゲームというのは往年のファミコン位しか思い浮かばない物だったので、目の前でアニメーションさながらの流暢な動きをし、声を発するゲームには驚かざるを得なかった。
「むっ、あの機体は!」
 目の前で繰り広げられていたゲームは何やらロボットが戦い合う物だったが、その戦いが繰り広げられている最中、見慣れた機影が目に入ったで、思わず私は画面を凝視した。
「佳乃嬢、先程の機体、やや小さめではあるが、サザビーであるな?」
「よぉし、ドズル閣下のグワジンを撃破だよぉ〜!!」
「人の話を聞いているのか……?」
 どうやらゲームに熱中し過ぎていて私の声が届いていないようである。法術で何か飛ばしこちらに気付かせようとも思ったが、後々怖い結果になりかねないので、素直に佳乃嬢が反応するのを待つ事にした。
「あっ、ごめんなさい、今面白い所で。大佐の言う通り、さっきあたしが使っていた機体はサザビーだよ」
 ようやく反応が返って来た。どうやら私の目に入った機影は予想通りサザビーであったようだ。
「ほう、やはりな。しかし他のロボットはνガンダムに関係のない物が殆どだな」
 画面に展開していた戦略マップみたいなのには、二頭身の小さなロボットが数十体並べられていた。しかしその殆どは私が始めて目に掛ける物ばかりだった。
「うん。今あたしがやってるゲームは『スーパーロボット大戦α』って言って、νガンダム以外のガンダムとか他のアニメのロボットがたくさん出てるゲームなんだよぉ〜」
 成程。言うなればロボットアニメのオールスターゲームのような物か。作品の枠を超えて様々なロボットが一同に会しているのだから、確かに熱中するようなゲームであろう。
「あうー、あうーっ」
「ん?」
 よくよく目を澄まして見れば、佳乃嬢の横にぴょこんと座るように例の狐が鎮座していた。ゲームに熱中する佳乃嬢の黄色い声に合わせるかのように、ごん狐は鳴き声を上げていた。
「ほう、犬畜生が画面に食らい付いているとは珍妙な構図だな」
「あうーっ!」
「何ぃ!?」
 ごん狐を挑発するような言を発したら、まるで私の挑発に激怒したかのようにごん狐が襲い掛かって来た。
「ちぃ、貴様如きがこの私に勝てると思うな」
 突然飛び掛かって来たことにより私は防御体制のまま床に平伏してしまったが、子狐などに負ける筈もない。私は襲い掛かって来たごん狐を払い除けようとした。
「わぁ、ダメだよロコン!」
 私とロコンが絡み合っていると、佳乃嬢が暴れる子供を躾るように私の元からロコンを取り去った。
「あう〜……」
「よしよし」
 私に反撃し切れなかった事を悔むかのようなごん狐を、佳乃嬢は抱き締めてなだめた。
「まったく、随分と乱暴な狐だな」
「も〜う、今のは大佐が悪いよ〜。ロコンを傷付けるようなことを言うからだよ〜」
「確かにかの狐を人間を挑発するかのような言は発したな。しかし、例え挑発するような言葉であったとしても、狐如きに人間の言葉が理解出来る筈なかろう」
 2、3日前狐に人間の言葉が理解出来るかの是非を巡って女史と討論を交わした。あの時は「深層心理」などという専門用語を出した為に女史の論説に太刀打ち出来なかったが、狐に人間の心が理解出来る筈はないという自説は揺らいでいない。
「そんなことないよ。ロコンはあたしが怒るようなことを言えばしゅんとするし、逆に誉めるようなことを言えばぱぁーっと明るくなるんだよ」
「それは人の言葉を理解しているのではなく、ある程度の生物なら持ち合わせている学習能力で佳乃嬢の動作を学習して、その動作パターンの学習に基き反応しているだけではないか?」
 怒り出すとしゅんとなったような感じになり、誉め出すとぱぁーっと明るくなるというのは、確かに狐の喜怒哀楽の表れである可能性はあるだろう。しかし、それはあくまで佳乃嬢の言葉ではなく一連の動作に合わせて反応しているものであり、佳乃嬢の言葉そのものに反応している訳ではないだろう。
「う〜、確かにそうかもしれないけど……。でも、でもあたしはもし動物とコミュニケーションを取れたらいいなって思うから……。だから、その……あたしはロコンがあたしの言葉を理解してるって思いたい……」
「ふむ。しかし何故そのように思うのだ」
 弱々しい声ながらも必死に自説を展開しようとする佳乃嬢をこれ以上攻め立てるのは酷だと思い、私は論点をすり替え、何故佳乃嬢がそのように思うのかを問い出した。
「う〜んと、それは……。動物は言葉が喋れないから鳴き声とか体の動きで感情を表わすことが出来るけど、でも人間は言葉の感情表現が発達しているから逆に体の動きだけじゃ気持ちの全部は伝えることが出来ないと思うんだ。
 あたしはロコンの鳴き声や身体動作から、その時々のロコンの気持ちを必死に理解しようとしている。だけどロコンに人間の言葉を理解出来なきゃ、あたしの気持ちは全部伝わらない。
 だから、もしロコンが人間の言葉を理解出来たら、どんなにいいんだろうて思うんだ……」
「そうか……」
 それならば佳乃嬢の方が身体動作で感情を表わせるよう精進に努めれば良いことだとも思うし、それが妥当な方法であろう。しかし、まるで親子か兄弟のように馴れ合う佳乃嬢とロコンの姿を見ていると、徐々にではあるが、私もこのロコンに限っては人の言葉を理解しているのだと信じて見たくなるものだ。





「さて、少し出掛けるか」
 午後になり雨脚が弱まって来ると、私は多少の金を稼ぐ為街へと繰り出した。目的地は例の如く遠野駅である。
「さてと、今日は初心に返ってみるとするか」
 駅に着くと早速私は古ぼけた人形を取り出した。この間は女史からプラモデルを借りて芸を披露したが、ずっとこの街に留まっているわけではないので、いつまでも借り物で芸をするわけには行かない。そんな理由で、初心に返り今日は人形芸を行う事にした。
「しかし、どうしたものか。従来の芸ではいささか物足りぬな……」
 正直鍛錬を積み重ね法術を高めた今となっては、従来の芸は物足りないものに感じてしまう。それにしても、つい数日前まではロボットの腕一本動かすだけでも一苦労であったのに、今となっては複数の物体を同時に操られるようになった。この短期間での飛躍には、自分自身驚くしかなかった。
「かくなる上は……」
 思い立ち、私は周りを見渡し手頃な石をいくつか拾い出した。
「さてさて、集えよ老若男女の皆の集。我が手元にありし、かの古き人形、怪しき所なき只の古き人形也。されどかの人形、我が手に掛かれば生者の如し! さてさて、その御姿垣間見たき者共、我が前に集まりならん!」
 大声でバナナ売りでもするかのように辺りに呼び掛けると、今日は休日ということもあり、興味本位に付き立てられた多くの人々が集まり出して来た。
「ではこれより、摩訶不思議なる人形劇を始め致す!」
 頃合いを見計らい、私は人形に力を込め始めた。私の力が込められた人形は地面倒れている状況からまずは立ち上がり、ぴょこぴょこと歩き出した。その状況から足に力を溜める体勢になり、徐に宙目掛けて飛び出した。そして単に宙に飛び出しただけでなく、空中で3回転程して地面に着地した。
 ここまではいつも通りである。しかし今日は一味違う。私は拾い集めた石を人形の周辺に置いた。
「さて、今我が前に起しこの石、この石もまた怪しき所なき普通の石なれど、我が手に掛かればこの石もまたかくの如し!」
 私は力を抜いて一度倒していた人形を再び起き上がらせ、同時に周辺に置いた石を宙に浮かばせ固定させた。
 石が宙に浮きその場で固定しただけで人々は驚きの声を上げたが、次に私は石を人形目掛けて投げ付けた。人形に向かう石は無作為に人形へと向かって行ったが、立ち上がり出した人形は素早い動きで石を回避し、時折石を投げ飛ばすような動作も見せた。その一連の動作に、人々は盛大な歓声を上げた。
 その後も何度か人の集まりが出来、人々の歓声は数時間絶えることなく続いた。

「ふう、大分稼いだな」
 芸を始めて数時間が経過し、辺りは梅雨時には珍しい真っ赤な夕日に包まれていた。手元にある金は4、5,000円は下らない。これだけあれば次の街に移動しても差し支えないだろう。
「ぱちぱちぱち……」
「ん?」
 人々の行き交いも徐々に少なくなり、そろそろ頃合いだろうと思い霧島宅への帰路に就く為重い腰を上げようとした所、目の前の方から拍手する音が聞こえて来た。
「お見事です……」
 拍手しているのは普段着姿の美凪嬢だった。恐らく何分か前からいたのであろうが、普段着姿の為気付かなかった。
「なかなかの腕前ですね……」
 そう口や態度で表わすものの、他の客の反応に比べると美凪嬢の態度は酷く冷静に落ち着いていた。私の芸を見たのは2度目だということもあろうが、それならば特にトリックの見当たらぬ私の芸に更なる感心を持ち、まじまじと探求する筈だ。
 美凪嬢の態度はまるで、幾度となく私の芸を見、その仕組みを把握しているかの様であった。
「その落ちつき様、まるで私の芸のタネを把握しているかのようだな」
「ええ……。私の見た所、技法的なタネではなく……、所謂超能力に値する力による行いに見えますが」
「まあ、あながち間違いではないな。しかし何故そう推察出来るのだ?」
 常人に扱えぬ能力という意味では、確かに法術は超能力に値するものである。しかし、そう推察するには、以前に同等のものを見てでもいない限り、まず推察出来ぬものであろう。
「知人に似たような力を持っている方がおりますので……」
「ほう、それは誰だ? 真琴嬢辺りのことを指しておるのか?」
 美凪嬢が真琴嬢の兄の後輩に当たるならば、真琴嬢と関係がある可能性も考えられる。何より真琴嬢が美凪嬢の名や容姿をそれなりに把握してるのだから、二人が深い関係にある可能性は非常に高い。それで真琴嬢のあの力を見たことがあるならば、私の芸に驚きを感じないのも納得がいくものだ。
「そうでしたか……。やはりニュータイプだったのですね……」
「今の会話からどうすればそのような結論に辿り着くのだ……?」
というか、会話がまったく噛み合っていない。一見博識に見える美凪嬢ではあるが、何処かこういった抜け落ちた面もある。
「話してもいないのに、私の知人の名を語ったからですよ……」
 そう言われてハッと気付いた。そういえば私は真琴嬢を通して美凪嬢の名を知ったが、当の美凪嬢は私が誰であるかすら知らない筈である。そう思い、私は美凪嬢に真琴嬢と自分の関係を話した。
「そうでしたか……。あの方の妹と既にお会いしていたのですね。真琴ちゃんは元気にしていましたか?」
「元気過ぎる位だな。あの元気さでは車に轢かれても死なん……。いや、逆に車が破壊されるな……」
 あの反射神経に加え、力を瞬間的に集め、身体の一部を強化する能力を持っているのだ。車に轢かれるような目に遭遇しても、瞬時に回避するか、車を破壊すること位どうということはないだろう。
「そうですか……。それは何よりです」
 真琴嬢が平穏無事であることを知り、ほっと胸を撫で下ろす美凪嬢。その姿はまるで遠くへ旅立った一人娘の安否を気遣う母親のようであった。
「そういえば自己紹介がまだだったな。私は性は鬼柳、名は往人だ」
 美凪嬢の名を知っているのに自分が名を語らないのは失礼に当たると思い、私は美凪嬢に自分の名を語った。
「往人さんですね。私の方こそ名乗るのが遅れていました……。私は……」
「既に真琴嬢から聞いておる。美凪というのであろう?」
「はい……。美凪、遠野とおの美凪です」
「遠野? この地と同じ姓だな」
「はい。何でも遠野家は江戸期以前からこの地に住んでいる農民階級で、明治期に長らくこの地に住んでいた事を一つの誇りとし……、『遠野』という姓を名乗り始めたと伝え聞いています」
 おっとりとしながらも丁寧で流暢な語りをする美凪嬢。その姿は正に風が凪ぎいでるようであった。
「それと、私のことはなるべく『遠野』とお呼び下さい……」
「そうか。ならば私のことも以後は『鬼柳』で構わぬ」
 当人が姓で呼んで欲しいと言うならばそれも良いだろう。しかし私の中では名の情報が先に入って来たので、心の中では以後も「美凪」であろう。
「ところで私の芸を見ていたなら、毎度のことながら少しでも良いから賄い金をくれぬか?」
「ええ。もちろん用意してあります……」
 美凪嬢は長めのスカートのポケットをがそごそと探り、「進呈」の二文字が書かれたご祝儀袋を取り出した。
「鬼柳さんの見事な芸を記念して……」
「言わなくても分かる、どうせお米券であろう?」
「そんな事いう人嫌いです……」
「はっ……!?」
 美凪嬢の意味不明な言に、私は暫し言葉を失った。
「いえ……今のは私の強敵ともの口癖ですから、お気に為さらないで下さい」
 気にするなと言われても、気になるものは気になる。しかし、そのことを問い詰めても不毛な気がするので、これ以上の言及はしないことにした。
「では気を取り直して……、お米券を進呈です」
「有り難くもらっておく。ところでこのお米券には何か意味があるのか?」
 一体何故こうまで執拗に美凪嬢はお米券を進呈するのだろう。そう素朴な疑問を抱き、訊ねてみた。 「意味ですか……。鬼柳さん、お時間はありますか?」
「時間? まあ、多少の説明を聞く程の時間はある」
「そうですか……。では説明するに辺りご案内した場所があるのですが」
「付いて来いと言うのだな? 別に構わんよ」
 美凪嬢が何処へ案内するかは分からぬが、私は言われるがまま後に付いて行った。



 美凪嬢が案内したい場所というのは、どうやら駅から小1時間歩いた所であるとの話だった。
 案内されるままただ付いて行くだけでは徒に時間を過ごすだけだと思い、私は美凪嬢と会話しながら歩いていた。
 歩き始めて30分弱、それまでの会話は私が現在霧島家に世話になっていることや、ガンダムに関しての話題が中心だった。
「ところで聞きかねていたが、遠野嬢のいう私と似たような力を持っている人というのは、やはり真琴嬢を指しておるのか?」
 そんな会話を続けていた中、ふと聞きかねていたことを思い出し、美凪嬢に訊ねた。
「いえ、確かに真琴ちゃんも所謂超能力と呼ばれるような力を持っています……。ですが、鬼柳さんの力は真琴ちゃんの兄上様の力に似ています」
「ほう、あの青年も」
 真琴嬢があれだけの力を持っているなら、その兄が力を持っていても不思議ではない。しかし、今の美凪嬢や以前の真琴嬢の話から想像するに、兄妹でも二人の力は違うのだろう。もっとも、同じ兄妹でも異なる力を持っているというのも、違う興味が沸いてくるものだ。
「着きました。ここです……」
 美凪嬢に案内された場所は、ポツンと小さな碑が立っているだけの場所だった。
「碑? 何の碑だ?」
 そう思い、碑の横にあった市によって建てられた看板の説明文を読んでみた。それによると、この碑は宝暦五(1755)年に起きた飢饉による餓死者を慰霊する碑との説明であった。
「成程。しかし、この碑とお米券に何の因果関係が……?」
「飢饉というのは主に何の不作によって起こっていたものでしょう……?」
「飢饉……不作……。そうか、米か」
「そうです……。過去、この遠野は山地に開けた盆地という性格上、近代に至るまで数多くの飢饉に見舞われました。その飢饉によりお米がなく餓死した人々の多くはきっと、お米をお腹いっぱい食べることを夢見ながら亡くなって逝ったのでしょう……。そしてこの悲劇はここ遠野だけでなく、日本全国至る所で繰り返されました……。
 時代は変わり、明治以降は交通整備が進み、他方からの米の運搬が容易になったことにより、不作の年はあっても餓死者の数は大幅に減りました。そして現代は飽食の時代とまで言われ、食べ物に困ることはなくなりました。今ではお米は寧ろ余る食物として、国家主導の元の減反政策が続いています……」
 宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の詩に、「寒サノ夏ハオロオロ歩キ、ヒデリノ時ハ涙ヲ流シ」という一節がある。確かに明治以降は飢饉になることはなかったであろうが、しかし天候との闘いは果てしなく続いているものだった。
 今は天候の脅威は少なくなったが、それに甘んじ減反政策に出るのは驕りではなかろうか?
「このように、現代ではお米は命を賭してまで食べたいと思う食物ではなくなりました。ですが、私は思うのです……。今日のように、お米が難なく食べられる時代が来るのを待ち望み、亡くなって行った方々の想いを忘れてはならないと。今現在の私達は、その方々の連続の延長線上に存在し、たまたまお米が有り余る時代に生きているに過ぎないのですから……。
 いつまた来るかもしれない餓鬼道の世界。飢餓の世の中が訪れることを怖れ、そして今のお米が食べられる時代に感謝しなくてはならないと私は思います。そう思うからこそ、私はお米の有難味を多くの方々に知ってもらいたいと、交流があった方にはこうしてお米券を進呈しているのです……」
 米の有難味、今この有難味を肌で感じているものはこの日本に何人いるであろう。私自身はこういった生活を続けている性分、多少なりとも米の有難味は身をもって理解しているつもりだ。
 しかしこのような私が多少の金さえあれば米を食せるのは、全てこの飽食の時代のお陰だ。
 美凪嬢の話を聞き、改めて米が食える飽食のこの時代に感謝しなくてはならないと、心から思った。
「そして心に止めておかなくてはなりません……。”やまと”は豐葦原千五之瑞穂國とよあしはらちいほのみずほのくに、我々”やまと”の民は何処まで行ってもお米を主食とする民なのだということを……」



「……む、大分辺りが暗くなって来たな」
 もう7時辺りになるだろうか。気が付けば辺りは星々が瞬き始める時へと移り変わっていく合間だった。
「もう少し暗くなれば、今の季節は東の空に白鳥座のデネヴ、こと座のべガ、わし座のアルタイルから構成される夏の大三角が見られます……。この時期晴れるのは珍しいですから、帰路に就く合間空に目を向けるのも一興です……」
「ほう。昨日の七夕の件といい、星に関しての知識はなかなか博識であるな」
「ええ……。これでも学校では天文部の部長ですから。では家の方が心配しますので……」
 そうぺこりとお辞儀をし、美凪嬢は帰路に就いた。その一瞬見せた顔は、何処か悲しみを背負っているような顔だった。
 一瞬見せた美凪嬢の表情が気になりながらも、私も霧島家への帰路へ就いた。


…第七話完

※後書き

 この作品にも、今回から後書きを付ける事にしました。ただでさえ硬くて小難しい感がある小説ですので、後書きの一つでもないと読後感があまり芳しいものではないと思いますので(笑)。
 さて、今回美凪が原作のイメージに合わないような長台詞を喋りましたが、あれは原作における美凪の、「日本人はお米族」という台詞に、自分なりに多少説得性を持たせて喋らせたものです。自分なりに「何故お米券なのか」という所に、それなりの意味合い性を持たせたかったので。
 あと、聖さんの「トマホーク・ブーメラン」は、ずっと以前から考えていました。以前から使おう使おうと思っていたものの、なかなか使うタイミングがなく使用しないと思ってもいましたが、今回使ってみました。これは聖さんの職業の設定の違いから、原作におけるメス投げ(笑)の変わりのギャグネタとして考えていたものです。命中率や切れ味はメスに劣りますが、命中すれば破壊力はツルハシの方が上でしょう(爆)。
 肝心の次回は、往人が新たな旅に旅立つ話を霧島姉妹と真琴の前でし始めるといった感じで話に入ると思います。ではまたです〜。
※平成17年1月31日、改訂

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